ザ・カーナビーツ 君だけに愛を [ザ・カーナビーツ]







ザ・タイガースの人気、ジュリー、沢田研二氏の人気を決定的にした!1曲と言っても良いのではないでしょうか?。

「モナリザの微笑み」に続くGSブーム最盛期を迎える1968年1月、シングル第三弾発売、ジュリーの指差しポーズで日本中の女のコが卒倒、しびれた「君だけに愛を」の、こちらは指差しポーズ(スティック差しポーズ?)では、アイ高野氏歌う「好きさ好きさ好きさ」のヒットでジュリーより半年早かった(笑)ザ・カーナビーツの、カヴァーヴァージョン。

ザ・タイガースヴァージョンに比べると、ギター含めリズムもザ・カーナビーツらしいガレージパンクっぽいサウンドなのが特徴だと思われます。リードボーカルはドラムのアイ高野氏ではなく、臼井啓吉氏。アイ高野氏の独特の声がコーラスでかぶって、非常に!良い効果をだしてると思います。

ミュージック・ライフ編集長だった、現役ばりばり人気絶頂だったザ・ビートルズに初めて単独取材をした事で有名な「ミュージックライフ」編集長だった星加ルミ子さんによって、ロビンフッドというバンド名からザ・カーナビーツと名を改めたそうで、英国のリージェントストリートと並ぶ有名な、カーナビーストリートから命名されたそう。

で、67~68年のGSブーム最盛期にはとても人気の高かったバンドですが、昨日まで盛り上がっていたGSブームの突然の!急激な!(記録的と言っても良いかもしれないです)終息に、最後迄ヒット曲をだし人気のあったザ・タイガース以外、全バンドがそうであったように、ザ・カーナビーツも逆らえる事は出来ず、他GSより少し早い1969年9月、解散。

ドラマーでシンガーのアイ高野氏は、元々GSブームでGSに括られていただけで、本格的なR&B、ブルースバンドだった、時代をリードするニューロックに突入したザ・ゴールデン・カップスのドラマーに、作曲家の鈴木邦彦氏に熱望され、ソロ歌手になるため脱退するグループの中でも女性人気の抜群に高かったマモル・マヌー氏に代わり、1970年1月加入。

1972年1月ザ・ゴールデンカップス解散。その後、80年代になり何度か再結成されているカップスのドラムも、アイ高野氏が担当してます。

1977年、クリエイションの竹田和夫氏が結成した「竹田和夫オールスターズ」に、チャー氏等のスモーキー・メディスン、金子マリ&バックスバニー・カルメン・マキ&OZでお馴染みのベーシスト、鳴瀬喜博氏、伊丹幸雄氏、あいざき進也氏、キャンディーズのバックバンドも務めていた、この後、スペクトラムを結成、新人バンドだったサザン・オールスターズのアレンジを担当する事になる新田一郎氏、巨匠!成毛滋氏等と共にドラマーとして参加。

その後、1981~84年迄、竹田和夫氏率いるクリエーションに参加。

藤竜也氏、草刈正雄氏、柴田恭平氏等によるTVドラマ「プロハンター」テーマ曲、「ロンリーハート」の大ヒットを出し、クリエーションが松田優作氏のサポートをやっていた時もメンバーでありました。
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