ジャンピン・ジャック・フラッシュ/ザ・テンプターズ Jumpin Jack Flash [ザ・テンプターズ]









1969年7月発売、新宿厚生年金ホールでの実況録音盤、これぞ!GSブーム!の耳をつんざく黄色い大嬌声の中、ちょーっとオープニング直後で当時二十歳前後の若きザ・テンプターズ、舞い上がり気味でリズムずれてるかな?って出だしですが、、、

突っ走り気味のザ・ローリングストーンズの不朽の名曲!「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」。

PYGでもしかりですが、一聴して出鱈目とわかるショーケン、萩原健一氏のボーカルの潔さ(?)が、案外、管理人は好きでして、また、ソレをレコーディングして全国発売するレコード会社の商魂も凄いわけですが、何より!当時、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をGSが、ザ・テンプターズが60年代末期に演奏していたという歴史が、管理人は嬉しいのでございます。

このライブアルバム「ザ・テンプターズ・オン・ステージ」が発売された頃から、GSブームは信じられない勢いで終焉、終息に向うわけですが、最後まで人気がありヒット曲を出していたザ・タイガースと共に、二大人気GSと言われたザ・テンプターズも御多分にもれず人気は急落。

同年12月には日本人初のメンフィス録音となった「ザ・テンプターズ・イン・メンフィス」が発表されますが(当時としては快挙だと思われます)、1970年になりヒットメーカー、作詞なかにし礼氏、作曲・編曲川口真氏の作品によるシングル「復活」「出来るかい?出来るかい?」も不発。

ラストシングルはデビュー曲、そしてザ・テンプターズ、ショーケン、萩原健一氏の人気を決定的にした!「神様お願い」同様、リーダーでありヴォーカリスト、ギタリスト、松崎由治氏による作品「若者よ愛を忘れるな」(1970.10月発売)で締めたのは、ザ・テンプターズらしいなと感じます。

が、ヒットする事なく、19670年12月末、東京大手町のサンケイホール内小ホールでの公演にて、ザ・テンプターズ解散。

以降、遂に!唯の一度も!再結成しなかった、唯一の人気GSではないか?と思われます。1997年、ギター&キーボードの田中俊夫氏、2009年、ドラマーの大口広司氏の死去により、ザ・テンプターズの再結成は永遠になくなりました。

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