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ジュリー、タロー、サリーが語るザ・タイガース映画 [ザ・タイガース]



ジュリー、沢田研二氏が、たのきんとザ・タイガースを比較して述べておりますから、80年代の番組からのソレと思われます。良いですね!ジュリー沢田研二氏、タロー森本太郎氏、サリー岸部一徳氏による対談。

確かに沢田研二氏の述べてる通り、内田裕也氏にスカウトされ上京してきたら、「時流にのった」のでしょうか?も〜う、もの凄い!大ブレイク!大人気になり、「お願いしなくても」日本武道館でやってくれ、映画に出てくれとなったわけで、確かに一生懸命、真面目に仕事をしていたら、御本人達にすれば、あれよあれよという間に、そうなったという感じなのでしょうね。GSブームに批判的だったマスメディアや大人達は、偏向的な「批判ありき、批判中傷を前提とした」傍目八目で、色々言ってましたけど。


ロング・グッバイのあとで ―ザ・タイガースでピーと呼ばれた男―

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再結成ザ・タイガースのオールナイトニッポンGOLD((喋りのみ) [ザ・タイガース]







2013.9.26ザ・タイガースのオールナイトニッポンGOLD((喋りのみ)

ザ・タイガースファン、ジュリー、沢田研二氏ファン、GSファンには、もはや釈迦に説法。ないと思われてたザ・タイガースオリジナルメンバー5人による再結成が、遂に実現。

ファンの方は必聴!オールナイトニッポン。

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シングルB面は、あの!「巨人の星」オーロラ三人娘がカヴァーした「クールな恋」。A面の「愛する君に」 - The Golden Cups "1968 [ザ・ゴールデンカップス]







GSブーム真っ盛りの1968年、3枚目のシングル「長い髪の少女」がヒット。それに続いた4枚目のシングル「愛する君に」もヒット!、、、ザ・ゴールデンカップスも又、アイドル的大人気を得るのが、この時期でありました。

ちなみにB面があの!巨人の星、オーロラ三人娘でお馴染み「クールな恋」。

「愛する君に」は作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦、編曲:村井邦彦。なかにし礼氏と鈴木邦彦氏は、この頃から70年代初頭、奥村チヨさんはじめ多くの歌謡ヒットも手がけてるコンビで、村井邦彦氏は、ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」の作曲で名を馳せ、ザ・タイガーズの楽曲もてがけ、その後、教科書にも乗ってると言われる、赤い鳥の「翼を下さい」など幾多のヒット曲を手がけた方で、ユーミン、荒井由実さんの師匠。

ザ・ゴールデンカップスに限りませんが、ザ・タイガース以外、GSブームの急激な終焉、衰退のせいもあってか、「長い髪の少女」「愛する君に」のヒットによって人気絶頂期にだされた次のシングルレコードは、メンバーのケネス伊東氏、エディ藩氏による作詞作曲の「過ぎ去りし恋」でしたが、これが前2曲ほどはヒットせず、再び作詞はなかにし礼氏、作曲は村井邦彦氏の作による「本牧ブルース」を次に少しヒットさせますが、世はGSブームの終焉時期に向かっており、ザ・ゴールデンカップスの、アイドル人気はこのへんで終了しております。

が、そこは元々!実力派GSと言われていたゴールデンカップス、ニューロック路線に様変わりし、ニューロックの世界でも「その人あり」のグループになり、1972年まで活動(メンバーチェンジあり)。その後も何度かの再結成を繰り返し、その度、話題になっていたのは、ファンの方ならご承知の筈ですし、ザ・ゴールデンカップスは知らなくてもメンバーのミッキー吉野氏、ルイズルイス加部氏は、ゴダイゴやジョニールイス&チャーでご存知の後世の音楽ファンも、多い筈でございます。

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1968年のダイナマイツのアルバム「ヤングサウンドR&Bはこれだ!」収録の、ルーファス・トーマスのカヴァー「ウォーキング・ザ・ドッグ」 [ダイナマイツ]









GSブーム真っ盛りの1968年にヒット曲「トンネル天国」のテイク違い含む、カバー曲で固めたアルバム「ヤングサウンドR&Bはこれだ!」の中の、なかなか時代を考えると強烈な1曲。

まあ、R&Bといっても当時のGSアルバムの定番であった(レコード会社の要請とか?)ビージーズやモンキーズのカヴァーも含まれており、今の若い人が聴いたら(何が?R&Bなん?)と思ってしまうでしょうが、そんな中、こちら正真正銘のR&B、ソウル、ルーファス・トーマス(踊り場ファンには、ファンキーチキンで有名な方)の1963年の作品、ザ・ローリング・ストーンズもカヴァーしていた「ウォーキング・ザ・ドック」(Walking the Dog)は、ザ・ダイナマイツの真骨頂を感じさせてくれますね。

元々ダイナマイツは東京のバンドという事もあって、又、ギターの山口富士男氏は、GSブーム後も伝説の「村八分」を結成したり、昨今まで今の(2013年)50代後半から還暦前後の東京の当時、不良だったであろう方々には伝説的に人気のあるギタリストでしたが、2013年7月14日、東京の福生駅前のタクシー乗り場で、アメリカ人の男が別の男を一方的に殴る現場に遭遇。止めに入ったところ突き飛ばされて後頭部を打ち、それにより急性硬膜下血腫を起こし、都内の病院に入院しますが、8月14日に脳挫傷のため死去。帰らぬ人になってしまいました。64歳没。

ご冥福をお祈りいたします。

なお犯人のアメリカ人男性は、傷害罪で逮捕、起訴されました。

ザ・テンプターズ最後の小ヒット「雨よふらないで」は、メンバー二人、作詞:萩原健一 作曲:松崎由治 だった。 [ザ・テンプターズ]









デビュー曲「忘れ得ぬ君」から数えて通算6枚目の、ザ・テンプターズの1969年発売のシングル「雨よふらないで」。

ザ・テンプターズの作曲を担当していた松崎由治氏以外で、はじめて!作詞のショーケン、萩原健一氏の名前がクレジットされたナンバーでしたが、GSブームの急激な衰退の歯止めは、ザ・タイガース以外、ジュリー、沢田研二氏と双璧の人気者だったショーケン、萩原健一氏のザ・テンプターズを例外にもれずかからず、日本人好みの名曲、名演だと思われるこちらの曲も、それまでのオリコンチャート大ヒットというわけにはいかず、これ以降、解散するまで、ザ・テンプターズのシングル曲が、オリコントップ10に入る事はなくなってしまいました。

こちらのシングルが発売される前に、ザ・テンプターズは「5-1=0 ザ・テンプターズの世界」という、当時としては画期的だった!全曲オリジナルアルバムを発表しており、ショーケン、萩原健一氏の圧倒的な人気もあったのに、ザ・テンプターズ解散後もショーケン、萩原健一氏は70年代も人気者だった事を考えると、何故?あそこまで急激にザ・テンプターズの人気が急降下したのか?当サイト運営者は謎であります。

まあ、時代の空気だったのでしょう。GSブームに火がついたのも空気なら、「GSなんて」的なGS叩き、GS潰しも又、空気だったのでしょう。
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ザ・モンキーズThe Monkees/恋の終列車Last Train to Clarksville [ザ・モンキーズ]







1966~68年頃の空前の日本のグループサウンズブームの頃、ご本人達は米国のザ・ヴェンチャーズのエレキインスト、サーフロックから、英国白人のジ・アニマルズ、ザ・ローリング・ストーンズの米国黒人音楽のブルース、R&R、R&Bの影響下のバンドにインスパイアされていたのに、正に!時代はザ・モンキーズ全盛時代だったのが、グループサウンズとレコード会社、マスメディアの対比の象徴だったのではないか?と、当サイト運営者は思っております。

まあ、ザ・ローリング・ストーンズを作った男!ブライアン・ジョーンズが、キースとミックの作ってる曲は、ポップスでありブルースではない。

自分の目指している音楽と売れていて人気にはなっているとはいえ、今のストーンズと自分の音楽観は完全に変わってしまったと、キースとミックに反旗を翻していたのが、当事のブルース、R&B志向だったアンチGSブームの男のコ達に支持されておりましたし、又、その!ルックスの良さで!女のコ達にも支持されていたブライアン・ジョーンズは当事、圧倒的に日本で人気者だったわけで、GSブームのプレイヤーサイドは、よく言われるザ・ビートルズより、よりザ・ローリング・ストーンズ(又はアニマルズ)、それもキースやミックではなく、ブライアン・ジョーンズだったと、当サイト運営者は勝手に決めております。

グループサウンズブームに陰りが見えはじめた1969年春、ザ・ゴールデンカップスのアルバム「ブルース・メッセージ」収録の「泣かずにいられない」 I Can't Keep From Crying_The Golden Cups [ザ・ゴールデンカップス]









空前のGSブームも陰りがみえはじめた、1969年3月にザ・ゴールデンカップスが発表した「ブルース・メッセージ」(ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第三集)収録の、「泣かずにいられない」(I Can't Keep From Crying)。

A面トップには、ザ・ゴールデンカップスのGSソングとしては最後のヒット曲になったと記憶しております、作詞なかにし礼氏、作曲にユーミン、松任谷由実さんの師匠、村井邦彦氏の名曲!「本牧ブルース」が収録されておりますが、日本初の!本格的ブルース(ブルースロック)とR&Bを中心にしたアルバムと、位置ずけられており、B面トップがこちらアル・クーパーが在籍していたブルース・プロジェクトのカヴァー、「泣かずにいられない」(I Can't Keep From Crying)。

かなり強力な楽曲であります。

ちなみにアル・クーパーはこの後、ブラスロックと言われたブラッド、スウェット&ティアーズ(Blood,Sweat&Tears) の結成メンバーになりますが、アルバム「ブルース・メッセージ」発表時、アル・クーパーは、ポール・バタフィールド・ブルース・バンドの名手!マイク・ブルームフィールドとの、所謂スーパーセッション「フィルモアの奇蹟」が話題だったので、その影響もザ・ゴールデン・カップスにあったのかな?なんて思いを馳せたりいたします。

アルバム全体を聴けば誰でもわかると思いますが、これはGSアルバムではなく、同年、ブルース・クリエイション等が続くニューロックアルバムの第一号と言えるソレであり、GSファンよりロックファン、ブルース、R&Bファンに聴いていただきたいと思うアルバムですね〜。

まあ、かくいう当サイト運営者も、こちら「ブルースメッセージ」は後追いで、70年代中期に同級生で友人の家に遊びに行った時、彼の「兄貴」のレコード棚にこのアルバムはじめザ・ゴールデンカップスのアルバムが並んでいたので、1枚ずつチェックしていたら、その選曲、カヴァー曲の渋さに衝撃をうけ、聴かせてもらい「すげー!ロックじゃん!」と、おったまげた次第であります。
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ファズギターの音が時代を感じる、作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦 によるザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」 [ザ・ワイルドワンズ]







いきなりのファズギター!ギターソロもファズ。時代を考えると凄いなと、、、しみじみ思いまする。

GSブーム突入の!1968年、「愛するアニタ」オリコン11位、「バラの恋人」6位と、それ以前から人気の高かったザ・ワイルドワンズも又、GSブームの寵児になる、その!とっかかりになった1967年発表の「青空のある限り」。

作曲は勿論!リーダーの加瀬邦彦氏であり、作詞は安井かずみさん。ザ・タイガースの大ヒット曲「シーシーシー」と同じコンビであります。

ザ・ワイルドワンズは一貫して加瀬邦彦氏のオリジナル曲でGSブームの寵児になっていたのは、特筆すべきで(加瀬邦彦氏の師、加山雄三氏の影響でしょうか?)、ザ・スパイダースもメンバーのかまやつひろし氏のオリジナルヒットはありますが、浜口庫之介氏作曲の楽曲が大ヒットもしておりますし、ザ・テンプターズも、松崎由浩氏の作曲で颯爽と!デビュー、「忘れ得ぬ君」「神様お願い」とヒットを飛ばしますが、その後の「エメラルドの伝説」は当事、新進気鋭だった村井邦彦氏の作曲。その後の「純愛」もしかりで、一貫して自身のオリジナル曲で勝負し続けたのはザ・ワイルドワンズ、加瀬邦彦氏だけだったのではないか?と、当サイト運営者、しみじみ思っております。

結局、GSブーム終焉の1970年以降も、加瀬邦彦氏は作曲家として、元ザ・タイガースのジュリー、沢田研二氏のソロデビュー、第二弾にして爆発的ヒットになり、その後の70年代、80年代の沢田研二氏の圧倒的な人気のとっかかりになった(ソロデビュー第一作は、名曲なれど大ヒットはしなかった「君をのせて」)「許されない愛」を作曲。

そして!ザ・ワイルドワンズ時代のこちら「青空のある限り」、ザ・タイガースの「シーシーシー」と同じソングライターチーム、作詞の安井かずみさんと組んだ「あなたへの愛」「危険なふたり」「胸いっぱいの悲しみ」「恋は邪魔もの」「追憶」と、70年代を代表する!ジュリー、沢田研二氏の大ヒット曲を加瀬邦彦氏は、「時の過ぎゆくままに 」「勝手にしやがれ」 等の、こちらの大ヒットした楽曲の作曲をした元ザ・スパイダースの大野克夫氏と共に手がけているわけで、加瀬邦彦氏は、その後もユーミン、荒井由実さん作詞の「ウィンクでさよなら」、糸井重里氏作詞の「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」と、ジュリー、沢田研二氏大人気の頃の作曲を手がけております。

加瀬邦彦氏はザ・ワイルドワンズ結成以前、加山雄三氏との出会いを始め、ザ・スパイダース、寺内タケシとブルージーンズに加入しており、加瀬邦彦氏を語らずしてエレキブーム、GSブーム、70年代のジュリー、沢田研二氏のソロ大ヒットもあったもんじゃないなと、当サイト運営者、思っております。
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グループサウンズブーム最中、ザ・スパイダースが「夕陽が泣いている」に続いてバンド外の浜口庫之助氏を起用し、再び大ヒットした「風が泣いている」 [ザ・スパイダース]







コミック版の「あしたのジョー」第一巻で、矢吹丈はザ・スパイダースの「風が泣いている」を歌いながら泪橋にやってきます。

ザ・ビートルズの日本武道館公演の3ヶ月後の9月、それまでブリティッシュ系ビートバンドだったザ・スパイダースご本人達は不本意だったようですが、ある種ふぉーく調の浜口庫之助氏、作詞作曲による「夕陽が泣いている」が大ヒット!ザ・スパイダースは時代の寵児になり、翌1967年5月、ザ・タイガースが、橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲の「シーサイドバウンド」で大ブレイク!。

ザ・スパイダース、ブルーコメッツ、ザ・ワイルドワンズの人気GSを脅かす存在にザ・タイガースがなってきた1967年7月、再び!ザ・スパイダースが浜口庫之助氏を起用、大ヒットさせたのがこちら「風が泣いている」。

ザ・スパイダースはこの後、更に1968年のGSブームピーク時迄!「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」、「あの時君は若かった」「真珠の涙」等、ザ・タイガース、ザ・テンプターズのアイドル人気には及びませんでしたが、今も不滅の!GSナンバーをヒットさせ、大御所の面目を保っておりました。

が、圧倒的人気を誇っていたザ・タイガース以外、他GSは1968年をピークに急激に!その人気は下降し、ザ・スパイダースもご多分にもれず、ヒット曲は出なくなってしまったのは寂しい限りでした(堺正章氏、井上順氏は個々に人気は高かったですが)。

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