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前野曜子/別れの朝 ペドロ&カプリシャス [リッキー&960ポンド]







GSブーム終焉後の1971年、いきなり週刊オリコンチャートで4週連続1位を獲得し、デビュー直後のペドロ&カプリシャスを一躍大人気バンドにした名曲。「別れの朝」。

前野曜子さんの歌唱&ルックスの素晴らしさを世に知らしめた1曲でございます。

前野曜子さんは、宝塚歌劇団退団後、赤坂の踊り場、ディスコ「MUGEN」でのゴーゴーガールを経、宝塚時代に知り合った亀渕友香さんと、この「MUGEN」で再会したのをきっかけに、リッキー&960ポンドに参加。

GSブーム最盛期から衰退に向う1969年、西丘有里名で「ワッハッハ」をヒットさせ、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」で大ブレイクいたしますが、その後、グループを脱退。

紆余曲折の人生後、1988年7月、40歳の若さでお亡くなりになられておりますが、ペドロ&カプリシャスは前野曜子さん脱退後、二代目女性ボーカルの髙橋真梨子さんの歌唱による「ジョニィへの伝言」「五番街のマリー」の連続ビッグヒットにより、その名を世に知らし続けました。

バンドマスターのペドロ梅村氏は第一回日本レコード大賞受賞曲「黒い花びら」でお馴染み、水原弘氏のバンド、水原弘とブルーソックスオーケストラ、「硝子のジョニー」「赤いグラス」でこちらもお馴染みアイ・ジョージ氏のトリオ・クバーナと、当時の実力派歌手の方々のサポートを、ペドロ&カプリシャス結成以前は勤めていたそう。

で、赤坂の「MUGEN」「BYBLOS」同様、かつて六本木でその店ありと言われていた、踊り場、ディスコの「ソウルイン・アフロレイキ」のオーナー、マリオ山口氏が、アイ・ジョージ氏、ダン池田とニューブリード(2011年現在、三原綱木とニューブリード)、チャーリー石黒と東京パンチョスと関わっていたパーカッション奏者、ミュージシャンでもあったのと、とても経由がペドロ梅村氏も似ており、、、

この60年代、70年代初頭当時の東京の踊り場、ディスコ、GS、エレキバンド、そしてラテン、キューバンジャズを基調にした、当時、歌謡番組やグランドキャバレー演奏等で大人気だったビッグバンドとの関わり、もっともっと検証していかなければいけないと、管理人は未熟者ながら思っております。

ペドロ&カプリシャスは、歴代の女性ボーカル交代含めメンバー交代は頻繁なれど、2011年現在、1971年から40年続いている、一度も解散した事がない長寿グループ、日本の老舗バンド、グループでございます。
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ダイニチ配給の映画「裸でだっこ」のOPナンバー、リッキー&960ポンド「ワッハッハ」  亀淵友香 [リッキー&960ポンド]









GSブーム最盛期の1968年、「妖怪百物語」と併映された「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」では、ボーイスカウトの爽やか指導員を演じてた渥美マリさんが、この後、経営悪化で倒産寸前になる「大映」を、10代の関根恵子さんと共に「お色気」で延命させていた(1971年倒産)、1970年の主演映画「裸でだっこ」。

その「裸でだっこ」のOPナンバー、リッキーと960ポンドの「ワッハッハ」。

赤坂のディスコ「MUGEN」でゴーゴーガールを務めてた前野曜子さんが、知人、亀渕友香さんと「MUGEN」で再会、キングトーンズ同様、日本の元祖R&Bグループと言える、リッキー&960ポンドに参加。

前野曜子さんは、こちら「ワッハッハ」を、GSブーム末期の1969年にヒットさせ(西丘有里名義)、1971年にはぺドロ&カプリシャスで、「別れの朝」の大ヒットを彼女は放ったわけですが、一方、亀淵友香さんは知る人ぞ知る!大御所。ボイストレーナーとして、名前を聞けば誰もが御存知の有名歌手の先生をやられてる、R&B、ジャズ、ブルース、ゴスペルシンガー。

下火になってきたとはいえ、未だGSブームの残り香のあった時代、子供心にこのリッキー&960ポンド、「随分と変わったグループサウンズだな」と思ってました(笑)。

が、この「ワッハッハ」は、このように映画の主題歌にも使われていたのでわかる通り、それなりにヒットしたので記憶はあるのですが、亀淵友香さんの印象がとても!強いので、後の前野曜子さんが在籍していた記憶が、全くないのが残念です。
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