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まだ無名だった頃の阿久悠氏作詞、村井邦彦氏作曲の、ザ・モップス「朝まで待てない」 [ザ・モップス]









GSブームに火がついた1967年11月、ザ・モップスのデビュー曲。「朝まで待てない」。

作詞は未だ無名時代の阿久悠氏。作曲はザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」の大ヒット以前の、こちらも未だ無名だった村井邦彦氏。アルファレコードを創設し、ユーミンをデビューさせたユーミンの師匠ですね。

誰でも最初は無名、かけ出し、このへんの無名時代の阿久悠氏や村井邦彦氏、或いは鈴木邦彦氏、筒美京平氏等を発掘した、当時のGSを抱えていたプロダクション、事務所、レコード会社の「嗅覚」、良くも悪くも「商売人」、音楽のビジネスの世界の人達の耳、嗅覚は凄いなと、今更ながら感心する次第です。

元々ザ・モップスは、1966年、埼玉でボーカル&ギターの星勝氏、ギターの三幸太郎氏、ベースの村上薫氏、ドラムのスズキ幹治氏の四人によりインストゥルメンタルバンド「チェックメイツ」として結成されたそうで、その後、スズキ氏の実兄、鈴木ヒロミツ氏が加わったそう。

で、わりと「星の王子様」「白馬に乗った王子様」的な売られ方をされたGSブーム最中のバンドの中では、異色の!ダーティーでサイケなイメージのあったザ・モップスはGSブーム衰退崩壊、ニューロックが台頭してきた70年前後にも、ザ・ゴールデンカップスと共に、他ニューロック系の新進バンドの中、「実力派GS」として人気を得ておりました。

その後の和製ふぉーくブームのとっかかりの時代にも、星勝氏が井上陽水氏のアルバムでサウンドプロデュースを担当したり、又、井上陽水氏や吉田拓郎氏の楽曲のカバーしていた、GSの中では息の長い、やはり異色のバンドだったといえると思います。


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GSブーム終息から随分と時間のたった、ザ・モップスのラストシングル「あかずの踏み切り」 [ザ・モップス]









1967年のGSブーム時代、アメリカ旅行でサイケデリック・ムーヴメントを目の当たりにしたホリプロ社長・堀威夫氏の発案で、「日本最初のサイケデリック・サウンド」、ヒッピーを意識した各人ばらばらの奇抜な衣装、LSDパーティーの開催、ライト・ショーなど、サイケのイメージを徹底して演出し登場したザ・モップス。

そしてGSブーム衰退後のニューロックシーンでも、ザ・ゴールデンカップスと共にGSデビュー組として活躍、その後、吉田拓郎氏、井上陽水氏人気の和製ふぉーくブーム時代に突入するまで、解散せず活躍し続けた数少ないバンド。ザ・モップス。

GSブーム終焉からかなり時間のたった1974年解散。この「あかずの踏切り」は1973年12月発売の、ザ・モップスのラストシングル。曲は井上陽水氏のあの!「あかずの踏切り」です。

アンドレ・カンドレという芸名から「井上陽水」名義で再デビューした、陽水氏のアルバム「断絶」は、ザ・モップスのギタリスト、星勝氏がアレンジプロデュースで、ほとんどモップスのメンバーによる演奏。陽水氏の初期の有名な「傘がない」の編曲も、勿論、星勝氏。

和製ふぉーくブームの頃、チューリップや陽水氏が何故?「ふぉーく」と紹介されるんだろ?。これの何処が?フォークソングなんだろ?と青二才ながら疑問を持っておりましたが、「ふぉーく」というのはフォークソングではない、その昔、洋楽は何でも「ジャズ」と言っていたのと同じ現象で、「ふぉーく」というのはフォークソングの事ではなく「ふぉーく」というムーブメントの事を指すんだと、まあ少し年をくってから、自分なりに解釈したわけで、このへんの星勝氏とザ・モップスと井上陽水氏の関係というのは、ファンの間では昔から有名ですね。

発売から2年後、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた、井上陽水氏のアルバム「氷の世界」の冒頭1曲目がこの「あかずの踏切り」で、こちらのアルバムもサウンドプロデュースは、ザ・モップスの星勝氏。プロデューサーは後にキティレコードをたちあげる多賀英典氏。

GSブームにサイケグループとしてデビューしたザ・モップスのラストシングルは、井上陽水氏の楽曲、正にこれがあの時代でございます。


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