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ジャッキー吉川とブルーコメッツ/「ブルー・シャトウ」 [ジャッキー吉川とブルーコメッツ]







大人たちに徹底して嫌われていたグループサウンズ、GSの中で、唯一!紅白歌合戦に出場したバンド、GSブーム真っ盛りの1967年、日本レコード大賞を受賞した、ジャッキー吉川とブルーコメッツの、不朽の名曲「ブルーシャトウ」。

というように、当時も大人達や業界関係者達には「実力派GS」と称えられていたブルーコメッツでしたが、既に1967年の時点でリーダーのジャッキー吉川氏もベースの高橋健二氏も三十路手前、キーボードの小田啓義氏もボーカル&フルート、サックスの井上忠夫氏も20代後半の、完全な「大人のバンド」(ギターの三原綱木氏だけは、唯一戦後生まれ)。

良くも悪くもGSブームを支えた、長髪、サイケ、パンキーサウンドを好んでいたティーンエイジャー、小学生には、完全に「おじさんバンド」。

まあ、一言で言えば「ブルーコメッツはGSブームの中心的存在とはいえど、GSではなかった」。これに尽きるわけです。

GSブーム以前の遥か昔、1957年から米軍キャンプ回りのバンドマンを中心に結成されたブルーコメッツは伝統ある老舗バンドで、エディ・コクランやバディ・ホリー等と英国ツアーをまわってます。

そしてその後、英国ロッカーとして一世を風靡する事になる英国の若者達に、多大な影響を与える絶対的な支持を受ける事になるジーン・ヴィンセントの、その直前の!ヴィンセントの1959年6月の日本公演では、地方巡演のツアーバンドもつとめてたほど、ブルーコメッツはGSブーム以前から、実力派バンド(メンバーは異なれど)。

その後、一度解散したブルーコメッツは、ブルーコメッツのファンだった鹿内タカシ氏によって再興。

1960年4月に新メンバーで再スタートし、1963年からはバンドボーイからの叩き上げのジャッキー吉川氏がリーダーになり、有名歌手のバックサポート、レコーディング等をこなしていた、バンドマン、ミュージシャンであり、そこにGSブームがふって湧いて来たわけで、ですから元々ブルーコメッツはグループサウンズではなかったわけです。

ダン池田氏にかわってビッグバンド「ニューブリード」を、小田啓義氏、三原綱木氏が率い(2011年今現在も)、指揮者として紅白歌合戦はじめ大きな歌謡ショー等で仕事をしてるのを、よくおみうけしますが、これだけでも並大抵の音楽家ではないのがわかると思いまする。
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ジャッキー吉川とブルーコメッツ/北国の二人 [ジャッキー吉川とブルーコメッツ]







ビッグバンド!ニューブリードを指揮者として率い、特にNHKの重要なソレには必ず活躍しております(例えば紅白歌合戦とか)三原綱木氏在籍の、ジャッキー吉川とブルーコメッツのこれは、わりと近年の再結成映像でしょうか?。亡くなられた井上忠夫氏が、悲しいかなおられませんので。

この曲はその井上忠夫氏作曲の(作詞は初期中期ザ・タイガースでお馴染み!橋本淳氏)、かの!1967年レコード大賞受賞曲「ブルーシャトウ」の次の次のシングル盤、1967.9月発売の、レコ大受賞の頃は、こっちが売れてた「北国の二人」。ジャッキー吉川とブルーコメッツの、こちらも大ヒット曲、管理人、個人的に、いつ聴いても幾つになっても子供時代を思い出し、涙ちょちょぎれそうになる不朽の!名曲でございます。

が、しかし、ジャッキー吉川とブルーコメッツの大ヒット曲はこの曲が最後で、GSブーム最盛期の1968年には、とても影が薄くなってたような記憶が、子供心に管理人はありまする(子供だったからかもしれませんが)。

とはいえ、、、この映像、、、

白髪&アメリカンの毛髪の皆様をみてると、ぐっときてしまいます、、、。しかし、皆さん本当に幾つになられても演奏、上手いですね!。皆さん素晴らしいですが、特に!ジャッキー吉川氏のドラミング、相変わらず素晴らしい!、、、。やっぱりGSはいい。素敵だ〜(オッサンの戯言にて恐縮です)。
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美空ひばりさんのミニスカート姿が話題だった!「真赤な太陽」 美空ひばり・ブルーコメッツ 1968 [ジャッキー吉川とブルーコメッツ]









1967年(昭和42年)5月に発売された、歌謡界の女王、美空ひばりさんと、GSブーム以前から歌謡芸能の世界のバックバンド、レコーディング等で活躍していた(尾藤イサオ氏等)、老舗バンド、ジャッキー吉川とブルーコメッツの異色の組み合わせで、空前の大ヒット!になった楽曲。同年レコード大賞を受賞した、3月発売の「ブルーシャトー」に続く、ブルーコメッツにおいて「ブルーシャトー」に次ぐ大ヒットナンバーになった名曲です。

作曲は、元大日本帝國海軍軍楽隊、当時の美空ひばりさんの専属バンドだった、ジャズ界の巨匠!原信夫とシャープスアンドフラッツのバンマス、原信夫氏。この映像でブルーコメッツのゲスト参加という形なのでしょうか?、サックスを吹かれてますね♪。

で!問題は、日本で史上初めて!当時のスィンギングロンドン、ツイッギーが来日、ミニスカートを紹介したするのが、同年67年の10月であり、この「真っ赤な太陽」発売の5月には、日本には未だミニスカートという文化がなかったわけで、シングルジャケットをみても、美空さんのスカートは膝ぎりぎりで、ツイッギー来日以降「膝上10cm」「膝上20cm」と、ミニスカートが大ブームになったソレとは異なるのは、そのせいなんですね。

子供心にこの曲は、美空さんがミニスカートでゴーゴーを踊りながら歌ってる、強烈な!印象が残ってるのですが、この映像でもわかる通り、ツイッギー来日以降のGSブーム最盛期!の68年、実際には膝上5cmぐらいのドレスだったのでしょうかしら?(笑)。

子供の記憶というのは、いい加減なものでございます(汗)。
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