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グループサウンズブームが終息に向かいつつあった1969年、フォークグループ 五つの赤い風船 が放った「遠い世界に」 [フォーク]







1967年に結成された 五つの赤い風船 が1969年に放った「遠い世界に」。

空前のGSブームが終焉に向うこの時期、一方で多くの若者達は、和製ふぉーくに流れ、一部のコアなロックファンの若者達はニューロックに流れ、一般的にはこの頃も70年代も80年代も、ずーっと!歌謡曲全盛時代だったわけですが、ある種、時代の分岐点になったのが1969年。

とにかくこちらのアコースティックギターに絡むオートハープの美しい音色のイントロ!、、、楽曲の良さとは別に、これが何時聴いても!本当に美しく素晴らしいと感じます。

1967年12月25日のクリスマス発売、アングラフォークの旗手!フォーククルセイダースの「帰って来たヨッパライ」がGSブーム最盛期の!1968年上半期、空前の!大ヒットを記録、その1968年1月2月に、こちらも大ヒットしたザ・ジャイアンツとザ・ダーツの競作になった「ケメコの歌」、そして3月、アングラフォークの旗手としてこちらも爆発的に売れたのが、中川五郎氏がボブ・ディランの曲に替え歌をのせた「受験生ブルース」に、高石ともや氏が新たに曲を付けて発表したと言われる「受験生ブルース」。

で、1968年はGSブームの最盛期で、1月にザ・タイガースの例のジュリー、沢田研二氏の♪きみだけーにーの指先しポーズ、「君だけに愛を」発売、爆発的に売れ、ザ・タイガース人気は最高潮。そして3月には、ザ・タイガースの対抗馬として登場したザ・テンプターズ、ショーケン、萩原健一氏の人気を決定的にした「神様お願い」が発売され、こちらも大ヒットした時期で、ジュリー、ショーケンがアイドル人気で大ブレイクしてた頃、方やお笑い落語好きだった少年時代の管理人には、誠に嬉しくて楽しくしょうがなかったアングラフォークが、同じ時期に同じように売れていたんですね。

で、高石ともや氏は既に「受験生ブルース」の大ヒット以前より高石事務所を開設しており、岡林信康氏、この 五つの赤い風船、そして中川五郎氏ら、関西フォーク陣の他、東京で活動していた高田渡氏、遠藤賢司氏、そしてジャックスも所属していた、日本の今のインディーズレーベルの高石事務所は魁だったわけで、こちら 五つの赤い風船の放った大ヒット曲!「遠い世界に」は、そんな時代背景の中、生まれたフォークの傑作、名作でございます。

ジュリー、ショーケン大人気のGSブーム最盛期は、この後のオックス登場でそれは狂乱に変わり、一方アングラフォークは、日本で最初のインディーズレーベルと伝わる、通称「URC」、アングラレコードクラブを1969年に設立。一方、フローラルからエイプリルフールになる小坂忠氏率いるバンドが、69年「Apryl Fool」を録音。

エイプリルフール解散後、メンバーの細野晴臣氏と松本隆氏が新たに結成した「はっぴいえんど」は、URCのフォーク系の方々のレコーディング、サポートも行なっていたわけで、又、当時未だ10代だった天才ギター少年、竹田和夫氏のブルース・クリエイションも69年にデビュー。ザ・ゴールデンカップスもアルバム「ブルースメッセージ」を69年3月発表、GSではなくニューロックに時代は変革していくのがこの1969年で、また、あれほど盛況だったGSブームが急激に衰退してくのも、この1969年。

70年安保を翌年に控えた、五つの赤い風船の「遠い世界に」が流行っていた1969年が、1つの時代の分岐点だったと言ってもよいでしょう。ちなみに 2995年、矢野真紀さんが「 遠い世界に」をカヴァー、SMBCフレンド証券企業CFイメージソングで使われたので、若い人でもこの曲、御存知の方多いのは嬉しいです。
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グループサウンズブーム絶頂期の1968年、フォークルと共に人気だった、高石友也氏の「受験生ブルース」 [フォーク]









1968年3月、中川五郎氏がボブ・ディランの曲に替え歌をのせた「受験生ブルース」に、高石友也氏が新たに曲を付けたのがこの曲だそうで、前年12月クリスマスに発売されたザ・フォーク・クルセイダースの空前の!大ヒット曲「帰って来たヨッパライ」の大ヒットが一段落した頃、子供だった「ボク等」の耳に飛び込んで来た、フォーククルセイダースに次ぐ!新曲の「アングラソング」が、この「受験生ブルース」と、ダーツの「ケメ子の歌」でした。

同じ時期の1968年春といえば、ザ・タイガースの、あの!ジュリーの指差しポーズの「君だけに愛を」の大ヒットから、両面ヒットした「銀河のロマンス/花の首飾り」、そしてショーケンのザ・テンプターズ「神様お願い」が大ヒットしていた諸に!時期で、もう少し「お兄さん方」は、当然「ちっ!アイドルGSがよ〜」とGSを嫌いだし、フォーククルセイダースや高石友也氏にシンパシーを感じ、これからどんどんそっちに向うわけですが、そこは未だこちらは子供も子供。GSブーム最盛期を迎えるこの時期、ふぉーくの「アングラ」も両方、面白がって楽しんでたんですね(笑)。

結局、元祖!叙情詩フォークの「旅人よ」の加山雄三氏、「バラが咲いた」のマイク真木氏、「若者たち」の黒沢久男氏の「ブロードサイドフォー」、森山良子さん等の、都市部のアイビー系、良家の子女のカレッジフォーク、モダンフォークのフォークの流れが、ここで一気に急激に変わるんですね。

まあ、フォーククルセイダースの加藤和彦氏も龍谷大、北山修氏も京都府立医科大、高石友也氏も立教大と、未だ集団就職が当たり前だった時代を思うと、随分と恵まれた、貧乏とかそういう世界の方々ではなかったのですが、なんとなーく「アングラ」という言葉と雰囲気、イメージが、それを払拭していた、彼等がばりばりのアイビーだったら、また、そういうイメージでみられたのでしょうが違ったのと、あとは音楽ビジネス。

GSは既に自身のプロダクション(後の田辺エージェンシー)を立ち上げていた、ザ・スパイダースのバンマス、田辺昭知氏が商才を発揮しておりましたが、「受験生ブルース」で有名になる前から既に高石友也氏も、高石事務所をたちあげており、こちらには岡林信康氏、西岡たかし氏の「五つの赤い風船」、中川五郎氏、高田渡氏、遠藤賢司氏、「ジャックス」も所属しており、「自分達の手で曲を作り歌い演奏し、自分達でマネジメントもしよう」という、ある種ビートルズ的な発想が、フォークの方々に強く根ずいていたのが、「30才以上の大人は信じるな」を合言葉にしてた、今(2011年)、還暦も越えてる方々(笑)、当時は若者だった方々に支持されるようになって行くわけです。

その流れが、伝説の「中津川フォークジャンボリー」に繋がるわけで、完全なGSブーム終焉後、70年代の歌謡史に残る!空前の和製ふぉーく大ブームの、この方々が先駆けになったわけで、思うにGSの失速失敗と、高石事務所、フォークの方々の手による初の!インディーズレーベル、URC(アンダーグランドレコードクラブ)が、70年代に和製ふぉーくで、ビジネスとして大儲けされた方々の、良い手本、教本になったのではないかな?と思ったりいたします。
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