ザ・モンキーズThe Monkees/恋の終列車Last Train to Clarksville [ザ・モンキーズ]
1966~68年頃の空前の日本のグループサウンズブームの頃、ご本人達は米国のザ・ヴェンチャーズのエレキインスト、サーフロックから、英国白人のジ・アニマルズ、ザ・ローリング・ストーンズの米国黒人音楽のブルース、R&R、R&Bの影響下のバンドにインスパイアされていたのに、正に!時代はザ・モンキーズ全盛時代だったのが、グループサウンズとレコード会社、マスメディアの対比の象徴だったのではないか?と、当サイト運営者は思っております。
まあ、ザ・ローリング・ストーンズを作った男!ブライアン・ジョーンズが、キースとミックの作ってる曲は、ポップスでありブルースではない。
自分の目指している音楽と売れていて人気にはなっているとはいえ、今のストーンズと自分の音楽観は完全に変わってしまったと、キースとミックに反旗を翻していたのが、当事のブルース、R&B志向だったアンチGSブームの男のコ達に支持されておりましたし、又、その!ルックスの良さで!女のコ達にも支持されていたブライアン・ジョーンズは当事、圧倒的に日本で人気者だったわけで、GSブームのプレイヤーサイドは、よく言われるザ・ビートルズより、よりザ・ローリング・ストーンズ(又はアニマルズ)、それもキースやミックではなく、ブライアン・ジョーンズだったと、当サイト運営者は勝手に決めております。
Little Darlin'- The Monkees [ザ・モンキーズ]
あの!ザ・モンキーズが!69年のウッドストックでのシャナナの映像より、73年のジョージ・ルーカスの出世作(制作フランシス・F・コッポラ)「アメリカングラフィティ」よりも昔に、デイビーとピーターがマッシュルームではなく、衣装も2011年の今も、アメリカンオールディーズ、R&R、R&Bをやるバンドには定番の衣装で、名曲!「リトルダーリン」をやっていたこの映像は、管理人、みつけた時には、私的に大ショッキングでございました。
モンキーズやるじゃん!
という感じで、、、。こうやってみると、デイビーというのは、時代が違っても、普通にR&R、アメリカンポップスのヒーローになれたであろう、アメリカ白人の正統派の、リーゼントも似合うであろう2枚目の顔だちだとわかりますね。マッシュルームカットの、可愛い男のコのイメージでしたが、、、。
ピーターの台詞もいいですね〜(つーか、モミアゲも顔もカッコイイ)。クールスで若き頃の舘ひろし氏がやってる部分ですが(笑)。コッポラやルーカスがそうであったように、ザ・モンキーズのメンバーも子供時代、この手のアメリカンポップス黄金時代の曲を聴き育ったのでしょうね。
70年前後から「R&Rリバイバル」というのは、日本でも英国でも米国でも、なんとなーくの共通了解の「合言葉」だったわけですが、既にその兆候はモンキーズ全盛時代からアメリカにはあったんだな〜と、あの!ヒッピー、フラワームーブメント全盛時代に、アメリカは懐が深い粋なTVショーやってたんだな〜と、遠い島国日本のオッサン(管理人)は思う次第でございます(笑)。
ある種、日本の後期&末期GSブームにも通じると感じた、ザ・モンキーズ。 [ザ・モンキーズ]
ある種、日本の後期&末期GSブームにも通じると感じた、ザ・モンキーズ。
1964年、史上初めて!英国のバンド、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」が全米1位を獲得し、その後も旧作や新作が次々とヒットチャートを独占、売れに売れたザ・ビートルズ。
そのビートルズの主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! - A Hard Day's Night』を、真似したTVドラマを作り、そこでビートルズ映画のようにそのバンドの曲を流せば、ビートルズのように必ず曲もヒットする!と、真似しようとしたのが、バート・シュナイダー(後に、イージーライダー制作)とボブ・ラフェルソン。
目標通り、1966年9月からアメリカで放映開始された「ザ・モンキーズショー」は大人気、10月に発売されたファーストアルバムは、いきなり!500万枚を売り上げ、ザ・モンキーズはこの後、快進撃を続けるわけですが、モンキーズの音楽担当だったドン・カーシュナーとメンバーのマイクが、デビュー作「恋の終列車」、2作目「アイムビリーバー」と連続大ヒットを飛ばしてる時に、デビュー曲はともかく、2作目からはメンバーも音楽制作に関わる約束を反故にされたので、既にもう揉めてるわけで、実に早いです、最初からです(汗)。
このドン・カーシュナーという人、かの「ロコモーション」でお馴染み、ビートルズも好きだったキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン、「オーキャロル」「ボーイハント」のニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールド等のヒットメーカーを抱える事務所を運営していた、既にアメリカ音楽業界の巨匠で、その巨匠と揉めるんですから、マイクも相当なもんだったと思いますね。まあ、詳しくは長くなるのでここでは書きませんが、カーシュナーも相当なもので(汗)、結局、カーシュナーは更迭になってます。
モンキーズについては、ここでは書ききれないソレがあるので、興味のある方は是非!ザ・モンキーズで検索して、ネットでも十分!思う所があるソレが出てきますので、調べてみて下さいませ。
結局、今は殆ど語られませんが、当時は「ビートルズ以来の大物バンド来日」と、それは大騒ぎだった1968年10月の、ザ・モンキーズ来日。TVでは、ひょうきんで笑顔の可愛いピーターが、髭面で笑顔1つみせず陰鬱な顔をしてたのが、子供心にショックで今も印象に強いですが、その一ヶ月後にピーター脱退。マイクも莫大な契約違反金を支払い脱退。ザ・モンキーズは1970年解散するわけで、このモンキーズ誕生の66年から、急激な人気低下、メンバーの脱退後、70年の解散て、もろに日本のGSブームとリンクしてるんです。