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グループサウンズブーム大爆発。日本中の女の子たちが絶叫した、ザ・タイガースのシングル第四弾 - 君だけに愛を [ザ・タイガース]









この曲が、1967年、ザ・タイガース第二弾シングル「シーサイドバウンド」、第三弾「モナリザの微微笑」に続く、この後も怒濤の!ごとく続くGSブーム、その人気の頂点にいたザ・タイガース人気を完全に決定ずけた、第四弾!シングル曲だったと、管理人は思っております。

更にB面が、ファンに人気の高い「落葉の物語」。この次の「銀河のロマンス/花の首飾り」も、A面B面両方がヒットしましたので、正にこの時代、世はタイガース、GSブームのど真ん中だったわけで、GSの指差しポーズの元祖は、正にこの曲であり、当時の日本中の女子中高生は、皆、これでシビれちゃったわけです。少し前のエレキ少年達が、♪テケテケ ♪デンデケデケデケ に痺れたように。

TV用の仕込みとはいえ、ウゴウゴルーガ、ゴーゴーガールにエレキバンドという組み合わせ、大好きです(笑)。

スィンギングロンドン、元祖ミニスカートのツイッギーが、東レ、トヨタ、森永製菓の3社合同招待にて1967年10月18日に来日して、日本に初めて!ミニスカートブームを巻き起こすわけですから、その3ヶ月後、発売されたこの曲で、ミニスカートのウゴウゴルーガ、ゴーゴーガールが踊ってるのは、自然の成り行き。

若い女性達に、こうして日本でミニスカートが輸入されたんですよ〜、と言いたい(笑)。

今観るとどうってことはないですが、ミニスカートにゴーゴーガールにエレキバンドって、当時で言えば、破廉恥なイカレポンチの世界ですから〜。

初期タイガースは、ジュリー人気もありましたが(メンバー皆、抜群に!人気ありましたが)、すぎやまこういち氏、作曲の楽曲が、どの曲も抜群に良いと思いますね。時が流れれば流れるほど、(良い曲だったんだな)なんて、しみじみ思っております。


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1967年、ザ・タイガースがブレイクしたシングル第二弾 ザ・タイガース - シーサイド・バウンド [ザ・タイガース]









ザ・タイガースの1967年の第二弾シングル。

未だメンバー全員、二十歳前後の、観ての通りの歌って演奏して踊り、ハモる(けっこうこれ全部やるの大変なんですよね)、猛烈にスパークしてる若者たちの、この曲の大ヒットにより、65~66年、エレキブームから、なんとなくグループサウンズなのかな的な時代の空気が一変。

これから世は熱狂的なグループサウンズ、GSブームに突っ走るわけです。

まだ若大将、映画では京南大学、田沼雄一を演じておりましたが、加山雄三ブームの最中、加山雄三氏は三十路に突入しており、若い女性たちのアイドルでもなくなってきたのが、GSブームに拍車をかけたのではないか?と管理人は分析しておりますし、加山雄三氏の一連の今も代名詞になってる、有名な空前のヒット曲連発は、タイガースの67年の「シーサイドバウンド」以前のソレであり、資料を眺めると時代の変革が、はっきりわかりますね。

タイガース大ブレイクの6年も前から、ザ・スパイダースは活動しており、ブルーコメッツ同様、GSブームの礎を築いた兄貴分的な存在だったのは、商業的な諸々の画策もあったようですが、極めて自然であり、加山雄三氏が三十路突入の1967年は、スパイダースのバンマス、田辺昭知氏は29才になる年、ヴェンチャーズのリードギタリスト、名手!ノーキー・エドワーズも既に31才を迎える年。

一方、タイガースの沢田研二氏は未だ19才にやっとなった年であり、年齢差はかなりあったわけです。

案外、今の(2011)還暦前後から50代前半の方で、ヴェンチャーズのノーキー・エドワーズ信奉者は、男では多いわけですが、あまり女の人でそういう方に、おめにかかった事がありません(笑)。ノーキーの影響でエレキを手にした、或いは手にしたかった男のコと違い、ヴェンチャーズは既に日本で大ブレイクした頃、アイドルという年齢でもなかったし、又、そういう売り方もしていなかったので、少女時代の思い入れが、女性はないのでしょうね。


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