GSブーム終息から随分と時間のたった、ザ・モップスのラストシングル「あかずの踏み切り」 [ザ・モップス]
1967年のGSブーム時代、アメリカ旅行でサイケデリック・ムーヴメントを目の当たりにしたホリプロ社長・堀威夫氏の発案で、「日本最初のサイケデリック・サウンド」、ヒッピーを意識した各人ばらばらの奇抜な衣装、LSDパーティーの開催、ライト・ショーなど、サイケのイメージを徹底して演出し登場したザ・モップス。
そしてGSブーム衰退後のニューロックシーンでも、ザ・ゴールデンカップスと共にGSデビュー組として活躍、その後、吉田拓郎氏、井上陽水氏人気の和製ふぉーくブーム時代に突入するまで、解散せず活躍し続けた数少ないバンド。ザ・モップス。
GSブーム終焉からかなり時間のたった1974年解散。この「あかずの踏切り」は1973年12月発売の、ザ・モップスのラストシングル。曲は井上陽水氏のあの!「あかずの踏切り」です。
アンドレ・カンドレという芸名から「井上陽水」名義で再デビューした、陽水氏のアルバム「断絶」は、ザ・モップスのギタリスト、星勝氏がアレンジプロデュースで、ほとんどモップスのメンバーによる演奏。陽水氏の初期の有名な「傘がない」の編曲も、勿論、星勝氏。
和製ふぉーくブームの頃、チューリップや陽水氏が何故?「ふぉーく」と紹介されるんだろ?。これの何処が?フォークソングなんだろ?と青二才ながら疑問を持っておりましたが、「ふぉーく」というのはフォークソングではない、その昔、洋楽は何でも「ジャズ」と言っていたのと同じ現象で、「ふぉーく」というのはフォークソングの事ではなく「ふぉーく」というムーブメントの事を指すんだと、まあ少し年をくってから、自分なりに解釈したわけで、このへんの星勝氏とザ・モップスと井上陽水氏の関係というのは、ファンの間では昔から有名ですね。
発売から2年後、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた、井上陽水氏のアルバム「氷の世界」の冒頭1曲目がこの「あかずの踏切り」で、こちらのアルバムもサウンドプロデュースは、ザ・モップスの星勝氏。プロデューサーは後にキティレコードをたちあげる多賀英典氏。
GSブームにサイケグループとしてデビューしたザ・モップスのラストシングルは、井上陽水氏の楽曲、正にこれがあの時代でございます。
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