「帰って来たヨッパライ」の大ヒットにより、こちらもテープ早回しをやってヒットしたザ・ダーツの「ケメ子の歌」 1968 [ダーツ]









ザ・フォーク・クルセイダースの「帰って来たヨッパライ」の、テープ早回しの大影響!、ここでもやっております。「帰って来たヨッパライ」発売から1ヶ月で共作のザ・ジャイアンツ盤が発売され、それから遅れる事、約1週間で、このザ・ダーツ盤が発売され、ザ・ダーツがオリコン最高位2位、ザ・ジャイアンツが最高位6位の、両方とも大ヒットした、当時のアングラコミックソングです。

編曲は、巨匠!浜口庫之助氏。

「帰って来たヨッパライ」の空前の大ヒットで、関西系で2匹目のどじょうをレコード会社が狙うにしても、僅か1月強でスカウト&レコーディングという早さは異例であり、ザ・ダーツというバンドがそれなりに有名で、それなりに実力もあったのと、そして「ケメ子の歌」というのは、既にレコード契約する以前から存在し、色々なバンドで学生の間では歌われていたそうな、、、。

で、私的には好きな歌です、今も昔も。

♪私の名前はミスケメ子 あなたは鏡をもってるの? 
吐き気をもよおすその顔で あたしを好きになるなんて

もの凄い!詞だとは思いませぬかしら?(笑)。片思いで、ありがちな!ポエムとメルヘンの世界に入って舞い上がってる男の子が、やっと告白して、この言葉は凄い!。

残念ながら所謂「一発屋」で終わってしまったわけですが、第ニ弾は、浜口庫之助氏作の「いつまでもスージー」、第三弾は「小さなスナック」でお馴染み、パープルシャドウズの今井久氏の「黄色いあめ玉」と、ヒットを狙っていた形跡はありありですが、68年と言えばザ・タイガースに続き、ザ・テンプターズが大人気になり、ザ・ゴールデンカップス等も人気になり、ザ・スパイーダスもヒットを出していた、歴史的なGSブームの頂点の年であり、ザ・ダーツの名前は知らないうちに消えてしまった(ザ・ジャイアンツも)という印象、記憶があります。

噺家の柳家小せん師匠が「うちのケメ子が」と言っていましたが、その影響でケメ子という名前を選んだのでしょうか?。実名とは思えないし(笑)。


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